本を読んでいて
「知っている内容だったから読んだ意味がなかった」
と思う場合があると思う。
私は、知っている内容を繰り返すことにも大きな意味があると思っている。
いい考え方だ、いい方法だと思ったことを繰り返すことは、それを無意識に刷り込んで、とっさのときにも使うことができる状態にする。
例えば「ありがとう」という言葉を繰り返していたら、いろんな場面でとっさに出てきて感謝する思考になるだろう。
「ありがとう」を無意識に刷り込もうとして毎日100回唱えるなども意味があるだろう。
ただし、そうすることが好きならば、という条件を付けたい。
義務感で無理やり毎日100回繰り返すと、いやいやながらになって、日常で使うときも、いやな気持が前面に出てしまうかもしれない。
それでは逆効果だ。
だから「好きなだけ」ものごとを行ったり繰り返したりすることが重要だ。
将棋の好きな手があるとして、好きなだけそれを盤上で並べ直すことは、自由に脇道にもそれて、この場面で別の手を指したらどうなるのだろうかと想像の翼を広げて、素晴らしい力になるだろう。
身に着けようとして義務感でで100回同じ定跡を並べたとして、いやいややったならば、実戦のときも嫌な思いが出てきて、その定跡から色々な可能性を思い浮かべることができず、或いはその定跡を選ぶことが嫌だと思って、逆効果になるかもしれない。
仕事や勉強の道具立てや思考法も同じだろう。
好きなことを好きなだけ繰り返し行う、それは無意識レベルに落とし込んで、周辺知識も自分から身に着けて、さらには改良し上達していく最良の方法だと思っている。
やろうとしていることが好きではなかったら、なぜやろうと思ったのか、やることによって自分は何を達成しようとしているのか、そのなかでの位置づけなどを見返してみるのがいい。
そのうえでどう考えてもやりたくないと思ったら、無理にやるよりもせめて休憩するほうがいい。
あるいはいやな気持を出さないで淡々とやれるならそれでもいい。
自分の大きな目的意識の中で位置づけて、やりたいと思うことをやる割合をどんどん増やしていこう。
やりたいことをやっている間が人間は一番思考が大きく豊かに広がって楽しい。
そうすることが、いつの間にか生産性も楽しさも大きく上昇していくことにつながっていく。