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脳は一体か?

「分離脳」と呼ばれる脳科学の実験がある。
病気の治療で左右の脳をつなぐ脳梁を切断された患者が、一見普通の動作をしながらも、右脳で感じたことを左脳で処理出来ていないことが観察された。
このことから「自分」の最たるものである脳ですらも一体ではないことがわかった。

考えてみれば当たり前の話だ。
本音と建前とが違うということはいくらでもあって、それぞれ脳の違う回路で処理されているのだろう。
理屈ではわかっても感情的に納得ができないようなときも脳の中で違う部分同士がせめぎ合っているのだろう。

だから自分の中に違う自分がいることは当たり前であり、無限に違う自分がいると思ったほうがいい。
「自分」という言葉の曖昧さを身にしみて感じる。

身体は常に新陳代謝して細胞だって細胞の構成要素だって数か月で入れ替わるわけだし、自分を自分と思っているのは記憶だけでしかない。
その記憶すらも曖昧であり、あとからいくらでも改変されてしまうことだってある。

どの本だったか忘れたので正確な引用ではないが、苫米地英人さんが著書の中で自分というものを川に例えていたのが印象的だった。

自分というのは川のようなものだ。
流れている水はあっという間に入れ替わってしまう。
流路だって変化する。
実体というよりは、水が連続的に流れているという現象のことを川という。
自分というものも実体というよりも記憶の連続性に基づいた現象であり、曖昧なものだ。

「自分」を不動のものではなく曖昧なものであると深く実感していることは、自分を変えようと思ったときに、変えることができるという確信となり、大きな力になっている。

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