数年前のことだが、通勤中の道路わきで、大きな桜の枝が壺に活けてあった。
初めは単なる枝だけで、固い固い小さな芽のようなつぼみの元がついているだけだった。
毎朝通りかかり、何とはなしに見ているうちに、その小さな芽がだんだんと膨らんできているのがわかった。
壺に活けてある桜でも育つんだなと思った。
しばらくしていると、芽に緑色がさし、そのうちにピンク色もさしてきた。
朝そこを通りかかって桜の枝を見るのが楽しみになってきた。
少しずつつぼみとして形を成し、ほころび始めるころには、毎朝ウキウキしながらそこを通りかかった。
大きな枝だったのでたくさんのつぼみがついていて、まだ固いつぼみも、もう咲きそうなつぼみも個性的だった。
だんだんと自分の中で感じる楽しさも大きくなっていった。
自分の胸の中で桜の花がだんだんと咲いていくようだった。
一凛咲き、いくつか咲き、満開になり、早いものは散っていき、葉が目立ち始め、ある朝その桜はいけていけてある壺ごとなくなっていた。
桜を毎朝みている間に「好き」という感情は毎日感じることでより好きになっていくのだなと実感した。
感情はたくさん感じることで育てることができる、すなわちトレーニングできるということを実感した。
「好き」をよりたくさん感じていこうと決めた時期だった。