メニュー 閉じる

決めつけと無関心とは似ている

「愛の反対は憎しみではなく、無関心」と言うけれど、何かを決めつけることと無関心とは似てないか?
主に、より深いところを知ろうとしていないという面で。

世の中は決めつけに満ちている。
宗教戦争では「俺たちの神を信じない奴らは敵だ」と決めつけ、成績の悪い子供に対して「勉強が足りないからよ」と決めつけ、「外国人は~」と決めつけ、「男は~」と決めつけ、「女は~」と決めつける。

プレゼントを贈ったとして、相手が感謝するに違いないと決めつけると、争いのもとになる。
「俺はこんなに善意で行動したのに」と思うときは、相手がその善意をありがたいと思うに違いないと決めつけてしまったから失敗したのではないか?
「あいつは前にこう言ったから今でもそうに違いない」と人を決めつけてはいないか?
「自分はこのゲームが楽しい」と決めつけて、いつの間にか苦痛になってもやり続けてないか?

決めつけるのではなく、常により深く知ろうとしよう。
表面に現れている言葉だけで決めつけず、その奥の想いを知ろう。
過去だけで決めつけず、今と未来も見よう。
行動したら反応を感じ取り、想定したイメージを修正しよう。
それはエネルギーのいることかもしれないけど、好きな人のことをより良く知るってエネルギーが湧いてこないか?

なにより自分に対して自分を決めつけず大切にしようよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください