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感性停止していないか?

僕たちは感じることをあまりに人任せにしてしまってはいないだろうか?

値段の高い料理はおいしいと決めつけて、まずいと感じたら自分の方をおかしいと思ってないか?
TVやネットに感じた違和感を放っておいて専門家が言っているのだから正しいと思い込んでいないか?
大勢の人が良いと評価しているものに対して自分が悪いと思った時に、口に出すかどうかは別の判断として自分の評価を自分自身に肯定しているだろうか?
何より、他人には無価値でも自分の大切にしたいものを、思いっきり大切にしているだろうか?

好きな画家さんでこういう人がいる。
コーチング アート ながいゆうじ
一度だけお会いする機会があったのだけど、すごくやさしい目をしていたのが心に残っている。

例えば好きな絵に対して、もっともっと感じ取ろう。
描かれている人はなにがあって笑っているのかな?
どんな風景の中にいるのかな?
暖かい日差しを感じているのかな?
足元に芝生を感じて、風の音を聞いているのかな?

絵の中の人になった気持ちで、いくらでも自由に感じることができる。
よく「思考停止してはいけない」みたいな言い方をされるけど、それ以上に「感性停止」してはいないか?

思考でも感性でも、いくらでも伸び伸びと伸ばすことができて、停止するのも発展させるのも自分の選択だ。
感じたことを感じたままに、より豊かに感じるという選択をいつも自分の中に持っておきたい。

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