子供のころ考えました。
なぜ勉強するの?
→いい学校に入るため
なぜいい学校に入るの?
→いい会社に入るため
なぜいい会社に入るの?
→いい生活をするため
なぜいい生活をするの?
なぜ生きてるの?
そもそも、なぜ「ある」の?
なぜ「ある」のかを考えたときに、なかなか答えにたどり着きませんでした。
そこで「ある」の反対、「ない」を考えました。
「ない」とはどういう状態でしょう?
ものがない、空間がない、時間もない・・・
そこまで考えたときに、そもそも究極的に何も「ない」という状態こそがあり得ないのだと直感しました。
そこから、
「ある」のは必然なんだ。
生きてるのも必然なんだ。
ならば、良く生きよう。
と思いました。
今の状態で在るというのは必然なんだという確信を持ち、あるものを受け入れようと思いました。
これが自分が哲学的なことを考えた原体験です。
・・・
今思えば、勉強をするのはいい学校に入るためというよりも面白いからだし、世間一般で言われるいい会社に入るのがいい生活になるかはわかりません。
なにより、今が必然だと分かったうえで受け入れるだけでは片手落ちでした。
過去と今を受け入れたうえで、今と未来を主体的に作っていくのは自分だ。
そうすることができるのだと実感して実践していくこと、それが大事なんだと日々身に染みているところです^^