貴乃花親方に相撲協会改革を期待しながら、失敗したら「だらしない」という人がいた。
私は相撲協会の事情は分からないです。
それでも仮に正しいこととみて応援したのならば、失敗に鞭打つなと反論しました。
失敗に対して鞭打つ人は多い。
挑戦者に完璧を求めていないか?
挑戦される側も大勢だったり有能だったりする場合も多いです。
無責任に応援するのならば、せめて失敗に鞭打たないでほしい。
もちろん失敗というものも、現時点でそう見えるだけでまだまだ挑戦の過程かもしれない。
それは傍観者にはわからないし、ずっと後になって種まきだったと思えるかもしれない。
私は、挑戦者は称えられるべきだと思っている。
他人の失敗に鞭打つ人は、自分の失敗にも鞭を打っていないか?
うまくいかないことがあったとして、自分の中で失敗として責めたら、そこで取り組みが終わってしまうのではないか。
目的を達成するための過程と位置付けて、取り組みを終わらせないことが大きな挑戦には必要なことだろう。
他人の失敗に寛容に、挑戦は称えて。
自分の失敗にも寛容に、挑戦をたたえて。
なぜ失敗したかの分析とさらなる挑戦の準備とには入念に、そうやって一歩ずつ進んでいきたい。