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誇りは自分の中で

誇りを持つことはものすごく大事です。
私は自分にたくさんの誇りを持っています。

鬱だったころは今ほど自覚的に誇りを持つことはできませんでした。
でも、今思えば「(たとえうまくいっていなくても)いい人間であろうとしていること」はどれだけ沈んでいても秘かな誇りとして私を支えていたと思います。

誇りを持つ基準は全く些細なことでもいい。
人にわかってもらえなくても全く構わない。
コンビニで会計するときに店員さんに笑顔で会釈したとか、ゴミを分別しているとか、下手でも人に配慮をしているとか。
どんなことを誇りにしていてもいいと思う。
自分でいいと思うことをやっているとか、やろうとしているのならば誇りに思えばいい。
人から評価されなくても、効果的でなくても、やろうと思っているだけでも、どんな些細なことであっても誇っていい。

もちろん、他人からも大いに称賛される誇りもあるだろう。
誇りは自分を支える。
自分の中で一本の芯を通して堂々と行動するもとになる。

そのうえで、気を付けたいことが三つある。

一つは、現在と未来の行動に活かす誇りでありたい。
過去にいいことをしたことは大いに誇ればいい。
これからもいいことをする人間であることを誇れば、かならず更にいい人間になっていくだろう。

二つめは、自分の基準であること。
人から言われた基準だと、人が意見を変えたら途端に崩れ去ってしまうかもしれない。
一位になったことを誇っても、明日には抜かれているかもしれない。
それならば一位になるほどやりこんでいる自分を誇った方が揺るぎないし、まだまだやりこむ力が湧いてくるだろう。

三つめは、自分の誇りで評価するのは自分だけにすること。
自分の得意なことを誇っていると、当然世の中の平均的な人は自分より遅れている。
自分の誇りで他人を評価して世の人を下に見るようならば、誇り自体の価値を下げてしまう。
自分は自分の基準で誇りに思って、人は人それぞれの誇りを自覚的にしろ潜在的にしろ持っている。
そのことをわかっていることが人を尊重するということじゃないかな。

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