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測り知れないということを受け入れよう

自分の想像を超える人に触れたとき、人は自分の想像の範囲内にその人のことを解釈してしまう。
性欲のことばかり考えていると、人の行動も性欲が元となっていると考えてしまう。
お金のことで頭がいっぱいだと、すべてを得損で考えてしまう。
すべてを論理で考えると、感情も論理で解釈してしまう。
感情に振り回されていると、他人も感情に振り回されていると思ってしまう。

自分と似た尺度で行動している人は、自分の想像で相手を評価しても大まかにはあっているだろう。
しかし、異なる尺度で行動している人や、似た尺度でも自分よりも飛びぬけて先行者である場合は、もはやその人を測ることはできない。

測り知れない人に出会ったとき、測り知れないと思える人は、比較的少ない。
「世の中は所詮~だろ」とか
「あの人は結局~だから」とか
今持っている尺度に当てはまめて納得してしまいがちだ。
それは、自分の世界を未知なるものに対して閉ざしてしまうことになる。

ソクラテスが「無知の知」と言った。
世の中には知らないことがいくらでもある。
知らないことがいくらでもあるのに、知っていることに当てはめてしまうと、知らないことを切り捨ててしまうことになる。

知らないということを受け入れてしまったほうがいい。
それこそが、知るための第一歩だ。

知るために知らないことを受け入れると、けた違いに世の中が多様で測り知れない事柄に満ちていることがわかる。

自分の想像を超えていこう。

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