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敵は、役に立つ

「あの人がいるからうまくいかないんだ」
「あの人のせいでこんな目に合っている」
「あの人のすることが腹立たしい」
そんな気持ちになってしまったことってありませんか?

私は、あります。
突発的に思うならばまだしも、日常的に接する人に継続的にこう思ってしまったら、いろいろなことが上手く回らなくなります。

人のせいでうまくいかないことは確かにあります。
でも、心のどこかで
「その人がいなければ自分は完ぺきに物事を成し遂げているのに」
なんて思ってしまっていませんか?

ベストセラーになった「嫌われる勇気」で
「引きこもりはトラウマのせいで外に出ないのではなく、トラウマを利用して外に出ないことを正当化している」
という内容がありました。

敵のせいで物事が上手くいかないというのも、似た構図に当てはまります。
「あの人のせいでうまくいかないのだから、私は正しい」
敵を設定することで、自分の心をある意味安定させているのです。

繰り返しますが、事実として特定の人のために物事が回らないことは起こりうるので、そこは冷静に評価すればいいです。

ただし、自分の方の問題として、上手くいかないことを特定の人のためだけに原因を絞ってしまったり、工夫をしなかったり、行動をしないことの言い訳としても「敵」は大いに役に立って、必要以上に使ってしまいがちです。
なにせ上手くいかないのは全部「敵」のせいにできるのですから。

しかし、それが日常化してしまうと「敵」に依存しているような状態になってしまいます。
何かあると敵のせいだと思って考えるのをやめてしまえばいいのですから・・・

敵に依存するって、悔しくないですか?

私はそれが悔しいので、敵に依存しそうな自分に気づいたときには
「責任は向こうにあるのだから自分が思い悩むことではないや」と割り切る
「僕の正当化の役に立ってくれてありがとう」と思う
「懐柔や説得を試みる」
「回避して物事を成し遂げる方法を探す」
のどれかを選択するようにしています。

そのほうがずっと心の平穏がはかれ、物事が上手く進みます。
嫌な相手のせいで物事が上手く進まないのは悔しいので、できるだけいろいろな方法を工夫し続けたいと思っています。
そのときに過剰に特定の人のことを意識すると創造性が広がらないため、いろいろな方法を考えるうちに自然に敵愾心も薄れてきます。

ちなみに「敵は役に立つ」ということを逆から見ても面白いです。

自分にやましいことがなくても勝手に人から敵認定されてしまうということもあります。
冷静に考えて自分に非がないと思えるなら、
「自分はあいつの役に立ってあげているんだ、感謝されてもいいくらいだ」
と思うと余計なイライラはしなくて済むようになります。

人によっては敵を設定してライバル心を燃やすことで生産性を高めている人もいるので、その相手に設定された時には明確に自分は役に立っていますね。

私自身は、できるだけ敵を設定せずにいたいと思っています。
自分が敵を設定してしまっていることに気づいたら、執着しないようにしています。

読んでくださったみなさまにも、敵の少ない心穏やかな日々を^^

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