つい先日、「人間にできてAIにできないものってなんだと思う?」と聞かれた。
自分にはその問いはピントがずれていると思う。
基本的にほとんどすべてのことがAIによってできるようになるだろうと思っている。
問題とするべきことは、「なにをAIに任せたいか」だ。
AIの発展は基本的に生産手段の高度化で社会全体の豊かさを底上げするものだ。
短期的には職を失う人がいて、それはそれで大問題だとしても、長期的にはみんなが豊かになっていく。
20世紀初頭にアメリカの貧困層の問題は飢餓だったけど、今のアメリカの貧困層の問題は肥満だと聞いた。
世界は確実に良い方向に向かっていく。
AIが発展した未来予想図で好きなものを貼っておく。
AIが切り開く21世紀のお気楽ゲームクリエイション または、私はどのようにして心配するのをやめてAIを愛するようになったか
すごく魅力的じゃないか。
SF的に「AIに社会が支配されるかもしれない」という人がいるけど、そうなったとして今とそこまで変わらないのでは?
人間はずっと前から法律によって支配されているとも言えるけど、人が支配するよりもずっといいということらしい。
でも、AIが発展しても任せたくないものが自分にはある。
それは、「楽しむ」ことだ。
「楽しむ」ことは、自分が楽しむことが大切だ。
AIに任せるということ自体に意味がない。
楽しむことに限らず、感じ取ること全般は、自分が主体となって意味がある。
AIが人間に仕えて生産手段をすべて肩代わりした状況になったとして、そこで人間が幸福でなければ意味がない。
でも、考えてみればその状況は大昔からあったものだ。
お釈迦さまが王子様だったころ、AIではないけど人間の召使がたくさんいて望む限りの贅沢を尽くせたという。
でも、お釈迦さまは幸福に感じなかった。
それによって東アジア全体の文化の礎である仏教が作られるんだからすごい話だw
だから、AIが発展した未来を想像したときに、そこで楽しんでいる自分がいるかは根本的な問題だ。
「楽しむ」という感性を自分の中で大きく育てていこう。