ときどき「~としか思えない」という言葉を耳にする。
「~と思う」こと自体は自由であり、大いに感じて思うのがいい。
ただ「~としか思えない」と言ったとたんに自分の自由を制限してしまっていることに気づいているだろうか?
「~としか思えない」とは、自分の無意識がそう思うことを選択したということだ。
じゃあ、仕方ないじゃないかと思わずに聞いてほしい。
無意識とは何だろう?
おそらく無意識とは「今意識を向けていないもの、或いは自分の中で意識を向けることができないもの」のことだ。
例えば呼吸を意識してみる。
呼吸のことを言われるまではおそらく無意識で呼吸していたと思う。
呼吸法をかじった人にとっては、お腹の前を膨らませて呼吸とか、背中側を膨らませて呼吸とか、意識したり操ることもできる。
意識を向けなくなったら自然に呼吸は無意識で行われるようになる。
だから、意識と無意識とは時々刻々と移り変わるし、どこまで深く自分を意識できるかも人によってあるいは時と場合によって違う。
人間の想いもこれと同じだ。
過去の選択に後悔してしまうとき、僕たちは意識的にか無意識的にか後悔することを選択しているのだ。
なぜ後悔することを選択したのかと考えると、多くの場合は次回はよりよく物事を行いたいためだ。
後悔することを自分自身が選択しているのだと意識に上げることによって、不必要に過剰な後悔はしないという選択肢が浮かんでくる。
「後悔せざるを得ない」のように思うと、後悔する以外の選択肢を自ら放棄してしまい、過剰な後悔と自己嫌悪にも陥る危険がある。
「~としか思えない」と言うとき、そう思う以外の選択肢を自ら閉ざすと宣言しているようなものだ。
~と思うことを無意識が選択したことを自覚したら、なぜそれを選択したのか自分を見つめることができる。
自分を見つめてそれが一番いい選択肢なのだと再認識することも多いだろうし、もっといい選択肢を発見できることもあるだろう。
いままで無意識でいたことに対して意識を向けて選択肢を得ることによって、自分はより自由になっていくことができる。