意味がある、効率がいい、価値がある、色々な表現があるけど、その言葉を使うときに、言葉の意味は明確に定まっているだろうか?
よく「人生の意味を考える」といった言い方があるけど、その場合「どういう基準を基にした」意味なのかをまず初めに選ぶ必要がある。
人生の意味を考えるならばその基準は自分が死んだ後も残るものが主体だろう。
家族でもいいし国でも世界でもいい。
意味の主体を定めたうえでさらに、価値基準を定めないと明確な意味をなさない。
自然環境の保護という基準、楽しいゲームなどの娯楽を提供するという基準、誰かの心に素敵な詩の一編を残すという基準、価値基準は無限にある。
よく言われるように、戦争時の基準をもとにすると人を殺すことの評価さえ逆転してしまうのだ。
「人を殺すのが悪いという理由をうまく説明できなかった」という話があるけれど、いいか悪いかを論じるときに、主体と評価基準とを定めて共有しないままだと話がぶれてまとまらない。
普段の生活においても、自分の人生においても、僕たちは意味の主体と基準とを自由に選ぶことができる。
それは人と全く違ってもいい。
ただ、願わくばあなた自身と周囲の人に幸をもたらすものであってほしい。
心から納得できる「意味」を自分で選んで歩んでいこう。