私が人とのコミュニケーションに大きな困難を感じていた時期、他人とワイワイ会話できる人は憧れだった。
自分のできない会話というスキルを持っている人は何でもできる有能な人のように思っていた。
私が自分に自信を持てなくてうつむいていた時期、自信がある人は憧れだった。
自信がある人は何でも正しい気がしていた。
自分の中に大きな困難を感じていて、それに引っかかっているときには、そこに不安のない(ように見える)ひとのことをどこかで全能の存在のように思ってしまう。
そんなことはないのに
その人もその人の苦労や困難を抱えているだろうに
自分のコンプレックスに自分で向き合わないと、その中身が理解できない。
会話のうまい人にも無限のタイプがあり、この話題でスムーズに会話できる人、このムードのときならば理路整然と話せる人、こういう相手ならばその話を心を寄せて聞くことができる人、様々だ。
自分で向き合って自分で試していくことで初めて、今まで「会話がうまい」で一括りにしてまともに見ていなかった人に対して実際の姿に近づける。
実際の姿に近づかず、まぶしい存在を見るように目を背けたままで人に接しようとしていませんか?
人は人です。
物理的にまぶしいなんてありえません。
理想を押し付けられると人は苦しくなります。
「私は違う」とはっきりと言えるならばまだいいです。
人のためを思って他人の理想を受け入れてしまう人も多いです。
その人は苦しくなってしまいます。
私の理想には、私自身で目を背けず近づきましょう。
私の理想を体現しているように見える人は、その人なりの全く別の理想と苦悩とを持っています。
「理想を体現している人」として見る限りそこは見えてきません。
友達になりたい人には、自分のコンプレックスを裏返さず、その人自身に近づいてあげてください。