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同じものを見ても違うことを感じている

今の私は、
新幹線にギリギリで乗り込んだとき
「時間を精一杯有効に使えてよかった」と思い、もう少し余裕を持つにはどうしたらよかったかなと考える。
些細なミスをした時
「大きなミスになる前に対処できてよかった」と思って、ミスを防ぐ対策を練る。

同じ状況で昔の私は、
「もっと余裕をもって行動しない自分はダメだ」
とか
「こんなミスをするなんてなんてバカなんだ」
と思っていた。

同じことを見て体験しても、感じ方は人によって全く違う。

状況をしっかりと把握したうえで、ポジティブに感じれることが幸せだ。
ポジティブに感じて幸せを味わうか、自分を責めて自分を傷つけるかは、どの感じ方を選ぶかという単なる選択の問題だ。

どうしても自分を責めてしまうという人もいるだろう。
ポジティブになんか感じられないという人もいるだろう。

でも、ポジティブに感じ取る人になりたいのならば、方法がある。
責めてしまった後でも「無意識の選択で自分を責める選択をしたんだ」と思うことだ。
そのうえで後からでも「ポジティブに感じ取ったらこう思えるぞ」と解釈しなおすことが重要だ。

自分が選択権をもって自分の感じる事や思うことを選択したんだと認識することが大事なのだ。

感じる事や思うことの選択権を持っていることを折に触れて認識していると、自然に選べるようになる。

ポジティブに感じたいならばポジティブに感じればいい。
事実をそのまま感じたいならばそうすればいい。
あえてネガティブに感じたいならばそれでもいい。

私は事実とポジティブの両方を感じ取りたいと思って、そのような感じ取り方を選択してきた。
そうしたら、その選択が癖になって、無意識で自然にできるようになってきた。
それはつまり、無意識で幸せに感じる癖をつけてきたということだ。

幸せは、単にポジティブに感じるという心の癖の問題だ。
身に着けることのできる習慣なんだ。

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