足もとの草を踏んで歩いた

この間、吹上浜に行った。
鹿児島の人ならみな知っている、日本三大砂丘にも選ばれる、砂丘と砂浜が綺麗なところだ。

展望台からしばらく風景を楽しんだ後、砂丘を下って砂浜に降りて行った。
砂丘の上に這うようにハマゴウが長い茎を茂らせていた。

砂の上を歩くと靴の中に砂が入ってしまうと思い、どうしようか考えたところ、茂っているハマゴウを踏んで歩けば砂が入らないと思いつき、名案だと思って実行した。
砂丘を降りて浜辺を楽しみ、帰るために砂丘を登りつつ、ふと考えた。

子供のころの自分だったら足元の草がかわいそうだと思い、草を踏んで歩く選択をしなかったよな。

立ち止まって考え、結局また草を踏んで砂丘を登った。

草に同情するのもバカバカしい考えすぎだとの思いもありながら、靴の中に砂が入らないようにするという利己的なことを、草を踏んで歩いて解決するという他を踏みつける解決策で実行した自分に対していろいろ考えた。

子供のころよりもいい意味で利己的になっているのは間違いない。
子供のころよりも悪い意味でも利己的になっているんだろうか?

吹上浜海浜公園の中を歩きながら考えた。
やりたいことをやるのはいい。
やりたいことのために他人を平気で踏みつけるようになってはいないか?

考えているうちに気が付いた。
砂の上を、靴に砂が入らないように工夫して歩けばいいんだ。

それは結構難しいことだ。
やりたいことだけをみていると他人が目に入らないこともある。
目に入らずに踏みつけた場合と、目に入った上で踏みつけた場合と、踏まれた方からすれば同じことだ。

自分のやりたいことを優先するために他人を踏みつけたいことが僕にもあるかもしれない。
そのとき、踏みつけて自分を貫くか、踏みつけないで自分を貫けないかという二者択一に陥ることなく、踏みつけないで自分を貫く最善の道を探すこと。

そんな自分でありたいな。

思索

Posted by 佐伯真哉