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意味づけは自由であり、感情をかきたてる

自分は、起こったことに対して起こったことをそのままとして受け入れたいと思っている。
逆から言うと、経験に対する意味づけは、必要な時に必要な意味を付ければいいし、普段は意味づけを固定していないほうがいいと思っている。

人の言動に触れて「悪意がある」と意味づけをすると腹が立つ。
「疲れて雑になったのかな」と意味づけをするとゆっくり休んでねと思う。
どちらが本当なのか何%ずつ混じっているのか他の原因なのかは本人と話して確かめるし、確かめたと思っても間違っていることも多いだろう。

色々な意味づけができると分かっていることが重要だ。

自分は小学生のころ酷いいじめにあっていたのだが、それについて特別な意味を固定しないようにしている。
人と話していて、相手の共感が増すように体験に意味づけして話したりもするが、その意味づけは取り外し自在だ。

やりたくないことは、「私はいじめられていたから人付き合いが苦手なんだ」と自分を固定化したようなことを自分自身に対して語りかけてしまうことだ。
自分を固定化するような語り掛けを自分自身に対しておこなうと、いつまでもその部分が変わらないことになってしまう。

一つの事実に対して、意味づけ、ストーリーは自由にできるものだ。
事実の部分を歪めてしまうとウソになってしまうが、物事の意味にはそもそも無数の選択肢が同時にあるから、意味づけを変えることは問題ない。

例えば食事をしたという平凡なことでも、「私はこれで元気が出る!」という意味づけと「ダイエットしていたのに意志が弱いな・・・」という意味づけとどちらを意識して自分に語り掛けるかは自分次第だ。

そして、意味づけの大きな効果のひとつが、感情を掻き立て、さらなる行動を促すことだ。

例えば小説を読むことについて
「私は小説を読んで心豊かな人間になる」
と肯定的な意味づけを行えば、読むことが嬉しくなってよりたくさん読みたくなる。
「小説を読むのは時間の無駄だよな」
と否定的な意味づけを行えば、読む気持ちがしぼんでいく。

いろんな方面から見て肯定的な意味づけができないことならやめてしまえばいい。
やることに対しては、自分の目標に向かうための肯定的な意味づけをたくさん行おう。
毎日の行動をより楽しくできる。
楽しくできるということは、その行動に全力で取り組めるということだ。

もちろん、休息をとることも心の底から肯定すればいい。
心の底から休息をとる自分を肯定したほうが、その効果は大きく高まる。

楽しく全力でやることがいっぱいの毎日はそうやって作っていける。
私は、そう思っています^^

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