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評価=思考停止?

人とケンカをしてしまったとする。
その人が大嫌いになってしまったとして、その人の言うことは一切受け付けません!と思ってしまうことは容易に想像できる。

AIが囲碁で人間の世界チャンピオンに勝った。
囲碁ですべての手を読もうとしたら人間もコンピュータも読み切れる限度をはるかに超えてしまう。
そのためあるところまで読んだら、この局面は「いい」か「悪い」か評価して読みを打ち切っている。
読みを打ち切る時点での評価方法がAIで大きく改善されたことでコンピュータが強くなった。

政治家の言動について「〇〇はいい人だ」とか「だから△△は悪いんだ」とか思うと、その人の政策すべての良い悪いの判断を引っ張られてしまう。

僕たちは何かを評価したときに、往々にしてそこで思考を止めてしまう。

評価することそのものが悪いわけではない。
無限に考え続けられるわけでもないから、思考停止そのものが悪いわけではない。
ただ、評価したとたんに思考停止をしがちであるということはわかっておいたほうがいい。

人とケンカをしたとき、なんでもかんでもその人が悪い理由を探してきて「だからあの人は悪いんだ」と思うことがある。
先に評価をしていて、思考停止にしている一番身近な例だと思う。

では、思考停止をしないためにはどうしたらいいだろうか?
自分は物事を「興味深い」と思うようにしている。

「興味深い」と思っておけば、物事の背景やある人の思考をより深く推察できる。
考察が自分の腑に落ちなくていったん保留にしても、また後で再度考え始めることができる。
あくまで興味なので、さらに深く考えても考えなくてもどちらでもいいが、興味深いことは考えると楽しい。
なぜ?あるいは?ひょっとしたら?という考えが先に立つと、物事に悪い印象を抱いてイライラしている暇がない。

評価をしたとき、特に自分の感情も伴う評価をしたとき、僕たちは判断停止をしがちだ。
もう一度、なぜ?あるいは?ひょっとしたら?と思うことを選択肢に入れよう。
それにより、物事をより深く見つめ原因の原因やその解決方法についてより役立つ答えが出てくることを、私はたくさん経験してきました^^

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