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主観は比べるのではなく共感しよう

「私のほうがあなたを好きなのよ!」
「何を言ってる!俺の愛のほうが大きいぞ!!」
「このわからずや!」
「お前こそわからずや!」
・・・

っていうようなケンカならば思わずニヤニヤしてしまうけど、主観や感情を人と比較すると多くの場合嫌なケンカになってしまう。

「俺のほうが大変なんだ!もっといたわれよ」
「私のほうがずっと大変よ!全然わかってくれない」
・・・

家族や恋人のケンカを話題にしましたが、仕事においても「俺のほうが大変な仕事をしている」「あいつは楽をしている」という思いからの関係悪化というのは起こりそうなことです。

なぜこういった行き違いが起きるのでしょう?
その原因は、そもそも比べることができないものを比べているからではないでしょうか?

「大変だ」「苦労している」にしろ「好きだ」「楽しい」にしろ、自分の感じている主観と他人の感じている主観とは、そもそも比較ができないものです。

「感動した」と言葉にしたとしても、1の感動もあれば100の感動もあるでしょう。
寂しさの中に楽しいなつかしさが混ざった感動もあるでしょうし、ひたすら悲しい寂しさもあるでしょう。
自分の「楽しい」と人の「楽しい」は厳密に同じものということはないでしょう。
そもそも、自分の感情はあくまで自分のためのものなのです。
誰かの感情はその人本人のためのものなのです。

目的も中身も違うものを取り出してきて比べるなんて元から無理があります。

だから主観を比べることは元からできないものだと思っています。

それでも僕たちはつい自分の感情を人と比べてしまいます。
それは癖でもあり人間の性質なのかもしれません。
だからせめて主観を比べるときは「共感」つまり思いやりを持って比べましょう。

人が大変な時にはできたらその人の境遇と心境に思いをはせましょう。
自分が大変な時にはそれを人に話して共有してもらうのもいいでしょう。
お互い大変な時にはお互いに思いやりましょう。

客観的な事実であるならば存分に比較すればよくて、そうすることは仕事において重要なことです。
でも、私的な関係や友人でもある同僚との間で主観を語るときは、そこに必要なのは比較ではなくて共感だと思いませんか?

自分の好きな言葉に
「結婚は悲しみを半分に喜びを二倍にする」
というのがあります。
友人や同僚との間でも互いを思いやる関係ならば喜びは増して悲しみは減るのだと思います。

周りの人と比較ではなく共感をしあうことで、穏やかで楽しい関係が育まれていくのではないでしょうか?

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