無責任になること

2018-06-08

例えば人にアドバイスをするときに
「こんなことを言ってうまくいかなかったらどうしよう?責任をとれないから黙っていたほうがいいかな」
と考えたことってないでしょうか?

異性に声をかけるとき、まだ知り合ったかどうかというような段階で
「この人にデートを申し込んで交際して結婚したとして幸せにできるかな?その責任を持てるかな?」
と、大げさすぎるようなことでも心のどこかで思っていたこともあります。

私は「責任を取る」という考え方自体が違うのではないかと思っています。

大学時代、友達から宗教に誘われました。
「俺が責任を取るから」と言われました。
「責任をとるってなんだ?俺の人生お前に責任を取ってもらいたくないぞ」と思いました。

「責任を取る」という言い方はたいていの場合無責任だと思っています。

幸せなカップルになることだって、自分の領分もありますが、半分は相手の領分です。
もちろん、幸せにするという気概は素晴らしいもので、そう表現するのもいいと思いますが、それを100%自分だけの責任だと思うこと自体が相手をないがしろにしています。

友人にアドバイスをするときも、自分は自分の言えることを言えばいいわけで、友人の責任はその人自身がとるわけです。
そう思ったうえで真心をもって言葉にすることが、人にもいい作用を及ぼすと思っています。

思索

Posted by 佐伯真哉