人間が深く傷つくということ

2020-02-23

私は小学校3年4年5年とどんどんとエスカレートするいじめの標的でした。
毎日のように下校中に集団で囲まれて殴る蹴るされる、そんないじめでした。
クラスのほとんどの人が積極的にいじめるか見て見ぬふりをするか、そんないじめでした。
私自身から親に言うということはほぼありませんでした。
子供のケンカに親を出すのは卑怯なことだと思い込んでいたのです。
親が知ると必ず学校や犯人の親に抗議してくれていました。
ケンカではなくいじめですし、もっともっとドンドンいうべきでした。
たまにいじめを見かねた女子が親に言って、そこから先生にばれて直接殴る蹴るした人を叱って、少しは収まったでしょうか?また元に戻るということをなんども繰り返した記憶があります。
いじめの中心人物がいてクラス中がその人を恐れていて恐怖政治となり、自分はその最下層でひたすらぼこぼこにされているという構図だったそうです。

6年の時に担任の先生によっていじめは収まりました。
その先生には心から感謝しています。

先日小学校のクラスの同窓会がありました。
その先生を含めて9人が集まり飲みました。
その中の1人以外には積極的にいじめられた記憶はほとんどないです。
その1人とも友達付き合いをしています。
先生が出席された回数はあまり多くないですが、以前にも何度もそのメンバーで飲んでいるので、普通に参加しました。

先日やその前の同窓会を通して感じたこと考えたことなどをもとにお伝えしたいことがあります。

恩師をお迎えしての同窓会ということもあり、先生が荒れたクラスをまとめ上げていじめの中心人物の恐怖支配を打ち破ってみんなを卒業させてくださった、ということを中心に話が進みます。
すばらしいことです。
みんなが感動的に卒業式を迎えたのは喜ばしいです。
しかしながら私はその感動を共有していない、ということがこの文章を書くことの端緒です。

話は飛びますが、私は長らく空気が読めないだとか、人といるときにキョドキョドしてしまうだとか、人と話すのが下手だとか、言葉を発するのにものすごく躊躇してしまうだとか、女性と話すのに過度に意識してしまうとか、そういったコンプレックスを抱えて生きてきました。
それらのうちのどのくらいが生来のもので、どれくらいがいじめの影響で、どれくらいがいじめ以外の影響なのかはわかりませんし、測ろうとするのも無駄です。
ただ、小学校3,4,5年といじめられ続けたことは、確実にコミュニケーションの発達を遅らせたことでしょう。

話を戻します。
私はいじめの中心人物がクラスの他の人まで怖がらせて影響を与えていたということに、全く気が付いていませんでした。
もちろんひどくいじめる人間が誰だというのはわかっていましたが、私以外の人同士の人間関係を察するのは当時は全くできていませんでした。
おそらく自分を防衛するために硬い殻を作り、いろいろな情報をシャットアウトして閉じこもっていたのでしょう。
私が当時意識できていたクラスメイトとの関係はあくまで私個人相手で限定されたもので、直接的に私を殴る蹴るする人、それ以外の人、極少数の放課後や日曜日に遊びに行ける人、といったところでした。
6年生になっていじめがなくなっても一度まとった硬い殻が割れるなんてことはないのです。
だからクラスの他の人間関係なんて全く知りません。
小学校の高学年では、クラスメイトと遊んで楽しかったといった記憶がほとんどありません。
大人になって同窓会で元クラスメイトの話を聞いて、初めて誰と誰とは仲が良かったんだな~と思ったものです。

そんな私の認識は、6年の時にいじめが収まったということだけなのです。
クラスがまとまったとか、卒業式が感動的だったという認識が、米粒ほどもないのです。

それでも、私が認識していなくても、他のクラスメイトが良かったと思っていることは喜ばしいです。

同窓会の席上でみんながハッピーになったというような話が続いていきます。
私はだんだんといたたまれなくなり、とうとう声をあげます。

「終わってないよ」

みんなが感動的に6年生を卒業して、いじめの中心人物の恐怖から逃れて、良かったです。
ただし、最下層でいじめられ続けてきた自分にとっては全く終わっていないことだったのです。

これから書くことのほとんどは同窓会の席上で言った話ではありません。
言葉がつかえて極極一部しか言えませんでした。
ですからできるだけ、ここに私の気持ちを記します。

私は、いじめられたことを思い出すと、ものすごく屈辱的な気持ちになり涙が止まらなくて憤慨してどうしようもなくなる、というような時期がいじめが収まった後でも数年続きました。

私は、自分のコミュニケーション能力の不足にずっと悩んできました。
そのたびに心のどこかによぎるのです。
いじめられていたからだと。
もちろんそうなのかもしれないし違うかもしれません。
彼らに責任を問うつもりなど全くないです。
そもそも自分の人生の責任を他人に取ってもらおうなど毛ほども思いません。

私は大学在学中に鬱になり、引きこもりになりました。
いじめたやつらのせいにしたい気持ちと、そんなやつらに自分の人生をめちゃめちゃにされてたまるかという葛藤もありました。

私は大学時代なども何年も自分自身がが無感動だと感じていました。
高校生のころなど、一生懸命やった体育祭の応援団のラストでみんなが感動して泣いている場面で、自分の心が冷えていて、それが知られるのがいやでみんなと同じ輪に入り似たようなポーズをとり泣いているふりをしたものです。
感情の一部が冷えて固まったままだったのは、硬い殻をまとい続けていたからだったのだろうと思っています。
ちなみに今は、身体からアプローチして癒していくやり方で、心からの感動を感じることができるようになっています。

私は自分を責めるクセがずっとずっと続いていました。
私は他人をほとんど責めることがありません。
責めないということを誇ればいいのですが、自己評価が低かった時期は、ひたすら自分を責めていました。

ここでちょっと話を変えて、なぜそもそもいじめがエスカレートしたのかという私なりの分析を記したいと思います。

原因の一つに、私自身が痛い時に痛いと声を発しなかったことがあると思っています。
昔から、場が荒れないことのほうを私自身のことよりも重視して、人から嫌なことをされても別にいいよと言っていました。
集団で殴る蹴るとされても、家に帰る前には家族にばれたくなくて涙をふいてことさら明るくふるまっていました。
私が黙っていれば、私の家族も笑っていられる、私をいじめたクラスメイトも親から怒られることない、そんなふうに思っていました。

子供は悪いことを悪いと認識できないことも多いでしょう。
被害者の私が殴られてもへらへら笑っていることによって、こいつは殴っていいやつなんだとみんなに刷り込んでしまった可能性があります。
巨大な間違いでした。

もちろん、間違いであるといっても、自分や自分以外のいじめられっこ全般に、あなたが悪いんだよというつもりは全くないです。
痛いことを痛いと声をあげることが困難な人もたくさんいて、その理由も様々です。

私自身が人に殴られても殴り返さなくなった原因をさらにさかのぼると、兄弟げんかで兄に反撃してもさらに激しく報復されるということを刷り込まれてしまったからだと思っています。
幼稚園の頃のことですし、兄を責めるつもりは全くありません。
現在の兄弟の仲もいいです。
ただ単に、自分の中での一番さかのぼれる原因がそれだという認識だけです。

殴られても殴り返さなかったり、痛い時に痛いと声をあげないことによって結果としてエスカレートさせてしまったという認識だけで、悪いのは殴る人であるということは強固に主張しておきます。

そのうえで、この文章でお伝えしたい一番のことは、痛い時に痛いと声をあげようということなのです。
また、同じくらいお伝えしたことは、人が笑っているからと言って痛みを感じていないというわけではないということをお伝えしたいのです。

話は先日の同窓会の場面に戻ります。
私はある一人の人にお前にいじめられたと厳しく非難しました。
本人は30年前のことをいまさら言われて困惑したかもしれません。
それでも「ちゃんと謝れていなかったということだ、ごめんなさい、言ってくれてありがとうね」とその人は言いました。

同窓会の翌朝、私は声をあげて泣きました。
私にとって、自分から空気をぶち破っていじめ加害者を直接責め立てることができたのは画期的なことだったのです。
ようやく嫌なことを嫌だということができた!と自分を大いに褒めました。
嫌だったことを嫌だったと、当人に直接みんなの前でいうことができるまでに強くなり、自分を癒すことができたと喜びました。

お伝えしたいのは、10歳のころに嫌だと思ったことを40歳になってようやく口にできる人間がいるということです。
いじめなどで激しく心に傷を負った人間が何十年も後にようやく声をあげることができたりもするということです。

私には、自分が痛い!ということを言うのはみっともないことだという思い込みがあります。
今でもその思い込みは強固でなかなか破れません。
それを打ち破る練習の一環としてもこの文章を書いています。
痛いことを痛いということは、加害行為をエスカレートさせないために公益性があることであり、大いに推奨されるべきことなのです。

もちろん、相手が嫌なことだと分かったうえで、やめない人間もたくさんいます。
たとえば、下ネタは私は嫌だと何度も伝えたことがある人間に相変わらず下ネタを言われるようなこともあるでしょう。
そいつは私との関係性においては端的に嫌な奴ということになります。
また別の対応が必要なのだと思います。

私は、自分が自分を癒してきた過程を誇りたいと思っています。
コミュニケーションのコンプレックスを10年以上かけて解消し、無感情だった自分を再び感情豊かにして、人付き合いの練習をして大勢の人間と付き合えるようになり、自分を責めるクセをなくすことができた。
私のように自分をここまで癒せる人間は珍しいのではないかと勝手に思っています。
うつで引きこもりの時期などもあり、自分一人の力ではなく、家族の多大な忍耐と力添えがあったことも決定的に大きいです。

逆から言うと、傷ついた人間は傷ついた傷をいやすことのできないまま一生抱えていくことが多いのではないかと心配しています。
この文章の目的の一つは、傷は癒すことができるという具体例を示したいということです。
もちろん私個人の経験でしかないので、さらに苦しんでいる人などとは全く状況が違うでしょう。
それでも、傷をいやしてきたという実例を表明することによって、希望となることができればと思っています。

もっと以前の同窓会の時ですが、クラスメイトみんなもいじめの中心人物の恐怖支配の被害者だったと発言されたことがあります。
私にはそういう状況認識自体が驚きであったというのはすでに記したとおりですが、まぁ彼らも大変だったんだなと思ったものです。
ただ、なんとなく話が、悪いのはすべて中心人物でそいつが絶対悪ですべての悪いのはそいつのせいだといったニュアンスになったように私は受け取り、こいつら正気なのか?と思ったことがあります。
もちろんそういうニュアンスは私の思い違いで、彼らも自分はちっとも悪くないと言いたかったわけではないかもしれません。

物事はすべて複合的です。
誰か一人に責任を着せたとしても、100%ということはないし、0%ということもないでしょう。
だからこそ物事を丁寧に見る必要があり、細やかに反省したりする必要があり、自分の分は自分の分としたうえで他人の分は他人の分とすることが重要なのです。

そういう私自身誤解から人に継続的に嫌な思いをさせ続け、嫌な思いをさせられ続けた苦い経験もあります。
それはまた別の話なのでここで詳しくは触れませんが、どんな人でも人に嫌な思いをさせてしまうことだってありうるからこそ、丁寧に人付き合いをする必要があることを言っておきたいです。

あまりにも長い文章となってきましたが、だんだんとまとめに移っていきたいと思います。
そもそも私がこの文章を書く大きな動機の一つは、いじめの再生産を防ぎたいということなのです。

私は今ちょうど40歳です。
同級生も、部下を教え導く立場だとか人の親だとかになっている人が大勢います。

だからこそ、伝えたい。

嫌なことを嫌と言うことはいいことなんだ。
人が嫌だといった時に、それを押さえつけないでほしい。
嫌だということが無力だと思った時に、それ以降声をあげれなくなる人間も多い。
嫌なことを嫌だといえない人や状況も多いから、相手の様子をよく見て察してあげてほしい。
嫌なことを嫌だということは人によっては何十年もかかるので、その時には受け入れてあげてほしい。
人は自分を癒すことができる。
コンプレックスは一つ一つ乗り越えることができる。
人が自分を癒すには長い時間がかかることがある。
空気を破って主張することは悪いことではない。
心についた傷が癒えるとしても、加害行為が終わってから何十年もかかるかもしれない。

同窓会の時に私が
「終わってないよ」
と声をあげたように、人間が深く傷つくということは、場合によっては残りの人生をかけて癒していく(あるいは苦しんでいる)ことになるのです。

私は自分自身の癒しの一過程としてこの文章を書きました。
私が私を癒していることは、私の誇りとなっています。
コンプレックスに思っていたことのいくつもを克服して、あるいは世間一般の平均よりも高い水準に持って行けたとも思っています。
そうしてようやくこのように声をあげています。

長い文章に付き合ってくださってありがとうございました。
私が体験をこうやって語ることが、誰かがどこかで発生させたかもしれないいじめを防ぐことができたら幸いです。

思索

Posted by 佐伯真哉